Rahic art work-1(tenjinyama)

「ためらいからの気づき / stumbling toward discovery / 猶豫中的發現」

拉黑子在陌生的環境時,都會把自己形容成一隻狗,在未知的世界總是猶豫不知該往哪裡前進,但也常常在猶豫的過程之中,深刻發現感受周邊環境。

ラへーズ(Rahic)はよく知らない環境に身を置いた時、いつも自分が一匹の犬になった様な気持ちになります。未知の世界で躊躇い、どちらの方向に進めばいいのか解らなくなりますが、ためらいの過程の中で、周囲の環境の移り変わりを感じ取った時の感覚は深く心に刻まれると気づきました。

駐村創作自述

我的創作大部分都是在關注土地、環境、人文,尤其是海洋這個區塊,我用身體的勞動透過撿拾漂流木當成創作材質,直到這十年也開始無法忽視「海廢」的存在,逐漸撿拾海岸邊廢棄的拖鞋、塑膠、玻璃、磚塊、漁線到鋼筋,我看到了他們最純粹的美。

回望到了陸地上,踏進了北海道,先拜訪參觀了博物館、美術館,接收到了很多的衝擊,看到這裡原本的過去、文化、族群、現代,但引起我關注的還是這邊的環境,在這裡生活、飲食、發現各式各樣有趣的包裝,我蒐集回收後的紙箱與日常所用的紙盒來做拼貼作品,象徵古老的文化傳說已被現代的洪流所淹蓋,我想要呈現的是一種自然的循環與人為的製造作為對比。

但讓我最好奇的是這裡「樹」的一切,最初到這是滿樹的色彩繽紛,隨著季節更迭,地面漸漸鋪滿了樹的紅黃落葉,而我們的語言稱落葉為rakaw,我們以前的垃圾就是落葉或貝殼而已。也發現周遭有許多因颱風造成的風倒木,那種樹枝被撕裂的造型只有颱風才能做得到的,我也撿拾他們,裁切成段後一段一段規律排成同心圓,這是一種儀式性呈現也是我對環境的崇敬之意。而這些材料都是終究會在自然循環之下消失。

我總是在各地的海岸邊看到五顏六色的海廢景象,這次在這裡也看到樹上色彩繽紛的葉子,但落葉後樹木矗立冬眠,我在等待白色覆蓋之後再度新生。

在這裡我一直很少說話,但其實我像落在地上的葉子顏色一樣熱情,我常說我就像停在樹上的那隻烏鴉一樣,無法溝通表達,只能啊啊啊啊…的叫著。

私の作品はほとんどが海をはじめ、土地、環境、文化に注目したものです。体を使う労働を通じて漂流木を拾い作品の材料にしていますが、ここ10年ほどは「海のゴミ」の存在も無視できなくなり、海岸でサンダルやプラスチック、ガラス、レンガ、釣り糸、そして鉄筋など、そこに最も純粋な美しさを見出して拾うようになってきています。
陸地に視線を戻し北海道にやって来ましたが、まず初めに博物館や美術館に行き、この土地の過去、文化、民族、現代などを目にして様々な衝撃を受けました。しかし最も気をひかれたのはここでの生活や食、興味をそそる様々な包装紙などの環境で、リサイクルの段ボールや普段使われる紙の箱などをはぎ合わせて作品を作りました。古さの象徴である伝説は現代という洪水に飲み込まれてしまっていますが、作品では自然のサイクルと人為的な制作の対比を表現したいと思っています。
そして最も興味をそそられたのが、ここでの「木」の全てです。最初に来た時、色彩豊かな木々を目にしましたが、季節の移ろいにともない、地面が赤や黄色の落ち葉で覆いつくされるようになりました。私たちの言葉で落ち葉は「ラカウ」といいます。私たちにとって、その昔ゴミといえば落ち葉と貝殻だけでした。それから、台風による数多くの倒木も目にしました。あのような幹や枝の割け方は、台風だけがなしうるものです。例にもれず倒木も拾い、切断して規則的に一段ずつ並べ、同心円状にしました。これは儀式的な表現であり、環境への崇敬の念を表したものです。そしてこの材料もいつかは自然のサイクルの下で消えていくのです。
普段は海岸で色とりどりの海のゴミを見ていますが、ここでも色彩豊かな木の葉を目にすることができました。葉が散って冬眠するかの如くそびえたつ木々が白く覆われ、それが再び生まれ変わるのを私は待ち望んでいます。
そして、ここではほとんど話をしませんでした。本当は落ち葉の色のように情熱的な私ですが、言葉が通じず、木の上に止まっているカラスのように、ああああ…ということしかできませんでした。

For the most part, my work focuses on relationships between the land, environment, and human experience, particularly on the ocean. Using my embodied labor and through collecting driftwood as my materials, over the past ten years I have not been able to ignore the existence of maritime refuse. As I collected sea plastics and other trash such as flip flops, nets, bricks, sea glass, and even steel rebar, I began to see their pure beauty.
Returning to solid ground, I have stepped onto Hokkaido. My visits to museums and art galleries provided much stimulus. The museums displayed Hokkaido’s past, its culture, its ethnic groups, and its present; but as a result, I have taken greater interest in Hokkaido’s environment: As I lived, ate, and drank in Hokkaido, I discovered much interesting packaging. I gathered these paper cartons and everyday food wrappers as materials for a collage in order to represent the way that ancient cultural traditions have been drowned in modernity’s deluge. By doing so, I want to display a contrast between natural cycles and human manufacturing.
However, I am most curious about everything to do with Hokkaido’s trees. When I first arrived, the trees were a riot of color. As the seasons have changed, the ground is blanketed in a quilt of orange, red, and yellow leaves. In my native language, we call fallen leaves rakaw, which is our word for trash. In the past, our only trash was made of such fallen leaves and shells. I also discovered that many fallen trees lain about in the wake of the summer’s typhoons. Only a typhoon could shear tree branches in this fashion. I collected these branches, piecing them together into an open spiral, which expresses a kind of ideology related to my own reverence for nature. Eventually, these materials will naturally decompose and disappear.
Although I always see multicolored scenes of sea trash along the beach, in this residence in Hokkaido, I have seen the vibrant colors of autumn leaves. Nonetheless, once the leaves have fallen, trees hibernate as they stand upright, which makes me long for the new life that emerges after they have been wrapped in white.
I have spoken no words here. In fact, however, I am as passionate as the color of autumn’s fallen leaves. Like the raven in the branches, I can not use words to express myself but can only call “krra! krra! krra! " across the forest.

日時:2018年11月23日(金)〜12月9日(日)

オープニング:11月23日(金)15:00

アーティスト・トーク:11月23日(金)15:30〜16:30 ごろ

*鼎談形式:ゲスト/穂積利明(キュレーター、北海道立近代美術館)

台湾で彼のことを知らないアーティストがいないほど、多くのアーティストから慕われ、台湾原住民出身のアーティストとしてはじめてファインアート・シーンで評価され活躍するラヘーズ・タリフのこれまでの活動を紹介するアーティスト・トーク。その後、キュレーターの穂積さん、さっぽろ天神山アートスタジオの小田井が加わって今後の展開や、札幌での滞在制作について語り合います。

会場には、今回の交換プログラムのパートナー、TEC LAND ARTS FESTIVALのシュールン・ウーも参加し、台湾台東エリアでのアーティストやフェスティバルの様子も紹介します。

会場:さっぽろ天神山アートスタジオ 1階

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協力:Tailing Dawn Artists Village, Taiwan East Coast Land Arts Festival 2018

more info:

https://tenjinyamastudio.jp/event-item/2018/11/20157/

https://tenjinyamastudio.jp/ct-creative/20383/

■ 滞在期間中の印象

2018年秋

さっぽろ天神山アートスタジオでの創作期間中、ディレクター小田井真美さんには細やかな気遣いをして頂きました。

北海道の各博物館、アイヌ民族博物館への訪問や館長との交流の場を手配して頂いた事によりすんなりと北海道の歴史・文化を理解する事ができました。

私の創作作品は土地・環境・人文を題材とした物が大部分を占めています。

真美さんは私を山林や海辺へ作品の素材探しに連れて行ってくれたり、素材に対する面倒な要望にも熱心に応えてくれました。

この期間の出来事は私の創作生涯においてとても貴重な経験となりました。

札幌での創作期間、私は地元の人になったつもりで過ごそうと試み様々な場所へ毎日散歩に出かけました。

私にとって散歩は空間や場所を感じ取るための手段なのです。

赤い楓が山一面を覆った頃から山一面に白雪が降り積る頃までに、

私が歩いた様々な場所には沢山の「rakaw」がうめつくされていました。

「rakaw」とは台湾原住民アミ族の言葉で「ゴミ」を意味します。

ところが私達アミ族にとってゴミとは落ち葉や貝殻などの事なのです。真美さんにこの話を伝えた際、彼女はとても驚きながら北海道の人々も「雪」をゴミとして扱っていると言いました。

多すぎる雪は除雪しなければならず人びとを悩ませる存在であり、雪もゴミとして扱われます。

しかし落ち葉も雪も自然の産物で環境を傷つける事はありえないのです。

さらに私にとって大きな収獲となったのは滞在中に再びアイヌの方々の元を訪れ、深く踏み込んだ交流と討論が出来た事です。

私自身も原住民であり、私が自身の文化をどのように作品創りに反映させているかなど、経験・構想を皆さんと分かち合う事が出来たのです。

熱帯の国からやって来た芸術家にとって北海道の赤や黄色の楓の葉・寒さ・白雪は全てにおいて五感が刺激されました。

私は今まで感じたことのない新鮮な感覚を覚え、視覚もまた大きな刺激を受けました。もしまた機会があれば再びこの魅惑の地を訪れ、滞在し作品を創作したいものです!